こんばんは、あーるです。今年に入ってブログの書き方を多少変えていまして。下書きが溜まるのが嫌でどんどん書いて出すようにしています。
曜日ごとにざっくり書くカテゴリを決めているのですが、「食」のことになると迷う事が多い…こだわりが少ないのかしら。決して作るのはキライじゃないのですが、丁寧にご飯を作りたいのに作れない、作っても食べて貰えない、そんなフラストレーションが溜まっているのかも…
ということで、進行形のことが書き辛いので思い出話。
私の母は、正直そんなに料理が上手ではないです。実家に帰ると大抵カレーかから揚げ(風にフライパンで焼いた鶏肉)のどちらかになります。この2つは美味しいし、子どもたちも食べるからいいのですが。
高校生の頃は、そんな母の料理に対して文句をつけていました、今思えばヒドイ話。
ある日のお弁当は彩りのバランスが大分偏っていて。多分、かつお系のふりかけ+おでん(残りもの)的な組み合わせです。毎日が楽しすぎて仕方なかったあの頃。仲良しグループで食べる楽しいお弁当時間に、なんとなく気まずさを感じてしまった私がいました。
帰るなり、
「あんな、茶色いお弁当じゃいやだよ。」
すると母は
「じゃあ、自分で作ってよ。」
「わかった。そうする!」
売り言葉に買い言葉で、それから自分でお弁当を作り始めたのです。思えば、今卵焼きが上手く焼けるのはあの頃毎日作っていたおかげかもしれません。
そのうち「パパの分も作ってよ。」と、卒業まで二つお弁当を作る日々が続きました。お小遣いもアップしたのでやる気充分。父はごはん、のり、ごはん、の順で詰めて上にしそ昆布を乗っけたのが好きだったな…。やんわり、私の作るお弁当の方が美味しいと言ってくれました笑
※やけに横長のタッパーみたいなお弁当箱を使っていた記憶。 実家には畑があるので彩りが足りないと「ミニトマトとレタスとってこよ。」という具合に便利でした。
母は、内心傷ついていたのか、朝の家事が減ってラッキー(その頃は再就職していた)と思っていたかはわからないですが。
作ったものに文句をつけられるのは、結構傷つくなあと母になった今は思います。ごめんね。
でも、いまだに実家に帰ると姉と一緒になって「なんで胡椒がないの!?」とか「賞味期限が切れてる…!」とかついつい言ってしまってますね。文句ばっかりでは成長がないので、最近は食べたいものを買っていくようにしたり、「私が作るよ」と懐かしい台所で朝、卵焼きを焼いたりしています。
母は父と2人暮らしになって、食事作りに張り合いが無くなっている様子です。食事の時間の小競り合いが多いこと…!我が母ながら、こうはならない方が良いな…と思うほど。張り合いの無さが先か、料理への苦手意識が先かはわかりませんが笑。
春休みに遊びに行ったら、「大勢で食べると美味しいよね」と、また言ってくれたら良いけれど。
子どもたちが年頃になって「こんなお弁当じゃいやだ」と言われないよう、美味しいものを作れる自分でいたいものです。
結構真面目に作っていた時期もあったんだけどなー。もうちょっとがんばろ。
という、母とお弁当の思い出話でした。