あーるのあーだこーで。

コーデ週記と日々のこと。

器用貧乏を素直に楽しめる自分でいたい。一分で作った四次元ポケット。

こんばんは、あーるです。本日は少しばかり振り返る自分のこと。

 

最近、アマゾンプライムでドラえもんを見ることにハマっている5歳&3歳の兄妹です。

「テッテレー!いえもとかんばんーー!」

などど、ポケットから道具を取り出す動作を真似る娘。

(これは!)と思い立ち

「ママが今から30秒で四次元ポケットを作ろう!」

と作ったのがこちら。

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最近園のバザーの品を作るのに、ミシンを出しっぱなしにしており。フェルトを切ってから息子がカウントして実際は40秒くらいだったかな?糸の色変えもしてないけど大体1分で完成。

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喜んで遊んでくれている娘です(クリップで服に留めている)。

 

 

器用貧乏だな、と自分のことを思います。

いまだに結局何も極められていないなぁ…と思ったりもします。それでも充分幸せなのだけど。

 

服を見たらすぐ(作れるんじゃないか?)と考えるし。プラレールが廃盤と知れば「塗ったらいいじゃん」とやりたくなる。園の催しがあれば「舞台の背景を描いて」と頼まれるくらいには絵は好きだし、隠しているので頼まれたことはないけど(まぁ、頼まれるシチュエーションもそんなにないか…)「踊れ」と言われればそういう類の学校を出たので身体は動く。ピアノだってそこそこ続けた。

 

でも、極限まで努力した記憶って、多分…ない。

ちょっと、言い切るのしんどいな。

 

多分に自分の母も似たような感じで。現在もピアノ、英会話、バレエ体操的なものを習い、絵手紙にハマったりバラの手入れに勤しんだり忙しそうにしている。若かりし頃も似たようなもので、舞台に立ったりしていたらしい。だから、20代の頃の私がそういう事にうつつを抜かしても見逃してくれていたのだと思う…(ただ、私は娘には勧めたくないなあ)。

面白いことに姉は全然違う道。資格を持った医療従事者で、ただただ尊敬。

 

母にそのままストレートに

「色々手を着けて、結局何にもなれていない気がする」

と打ち明けたことがある。

「色々なことを少しずつ楽しめるんだから、お得だと思えば良いんだよ」

と言われたっけ。

 

息子が産まれたときに、今まで何も成し遂げてこなかった私の役目はコレなんだ!母になることなんだ!と思った。

けど、なんというか、始まってみれば子育てはまた別のベクトルで。やるぞ!と決めて明確なゴールがあるわけではないし。決意と関係なしに産めば立場としては母になるわけで。中身が伴ってくるのは一体いつなのか。

産まれたばかりの頃なんて多少手先が器用だからって大して意味ないし。少し成長した今は、ちょっとは役立ってるのかもしれないけど絶対必要な事でもない。

 

特に結論は無い話ですがちょっと吐き出してみました。今更な悩み方だな…でも時々ふと、こんな事が頭の中をぐるぐると巡る時があります。という、とりとめもない話でした。