あーるのあーだこーで。

コーデ週記と日々のこと。

「ひとがおほしさまになること」について

こんばんは、あーるです。

先日、昔お世話になった方のお別れの会に行ってきました。その意味合いを息子に説明するのが…なかなか難しい。

 

この日の事とは別で、以前園に関わりのある方がお亡くなりになりました。「人は死んだらおほしさまになる」と聞いてきたので、その言葉を覚えてはいるのです。

五歳の息子にとって身近な人の死、はそれくらいか。

 

「ママのおともだちが、おほしさまになってしまった。だからさよならをしてくるので夜お出掛けするね。」

そう説明して家を出て来たのですが。

 

どうやって星になるの?

…身体を燃やしてその煙に乗ってお空に行くんだよ。

というのが、咄嗟の答え。

 

もやしちゃうの?

…身体は燃やして骨だけが残る、そして、お墓に骨をしまっておく いつも、おばあちゃん家行ってお墓参りしているところには、骨が入っている 人のかたちは無くなるけど、魂は残る

 

タマシイってなに?

…人の心だよ。

こころがのこるって?

…かたちはないけれど、いつも空から見てくれているんだよ。

 

と。答えに上手くならないまま、納得したような、していないような…。こういう、自分の中で当たり前になってしまったことを素直に問われるとドキッとしてしまう。

 

 

…実際のところは、夕食に炒飯を作って旦那とバトンタッチで向かいギリギリに着いて。自分にとっては恩師のような人。ただ、昔のことすぎて今の私とは関わりは殆どないから実感ないな…と思っていた不届き者だったけれど。在りし日の映像が流れてきたら不意に涙が流れてくる。もう居ないんだって。

 

私にとっても身近な人の死って、しばらく無かったのでした。

久々に会う人もいたけれど、「こんな時じゃないと会えないなんてね。年取ったよね」としみじみしてしまった。

 

 

息子の「明日の夜星を見たら一つ増えているかもしれないね」という言葉に、なんだか私が救われるようでした。

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貰ってきたお花。迎え入れられるようにキレイにしておいて良かった。ちょっと感傷的な夜です…。